
まろん君が亡くなって100日目
世間ではよく亡くなった子の歳を数えるものじゃないといいますが
今日1月28日でまろん君が亡くなって100日目になります
神道では仏教の四十九日にあたる50日祭と其のあとに100日祭があります
それから1年祭、5年祭と続いていきます
今日がまろん君の100日祭
まろん君の遺影に語りかけています
節目ごとに段々とかあちゃんから遠くなっていくの?
かあちゃんの傍から離れていくのは仕方がないんだね
神様に近づいて行ってくれるのがまろん君の幸せなんだね
まだ時々はまろん君のお空から雨が降るときがあるでしょう・・・
ごめんね・・・かあちゃんはとっても泣き虫になってしまったよ
そんな時はスマホの待ち受け画面のまろん君が怒っていて
ダメだよ!僕はびしょ濡れだよ!かあちゃん泣かないでよ・・・
そう言ってるように見えるんだよ
ペットロスを克服するには・・・
何でもそうですが、人と同じ立場にならないと物事はわからないものです
ペットロスという言葉は知ってはいたけど他人事と捉えている自分でした
精神的ショックを受けている状態だから、ひとつ間違うと飼い主も自死してしまうことがあるといいます
一人暮らしでペットと生活している場合はより深刻なのです
周りの人たちの気遣いも大切ですが、なんとか自力でペットロスの心理状態から抜け出さなければいけないんです
私もまろん君一筋の張りつめた介護生活があの日を境にプッツリ糸が切れたように無くなってしまいました
まろん君のお世話になった病院のスッタフさんたちがお母さんが心配と言ってた意味がわかりました
まろん君の居なくなったあとの生活がまるで気の抜けたビールどころじゃないんです
ただ一日一日と朝がきて夜になる・・・何もできない手につかないのです
そんな日がいまだに続いています
病気だな~と自覚していますが抜け出せないでいます
どうしたらこの悲しみから立ち直れるんでしょうか
ペットロスから立ち直るには、新しい子をお迎えするのがいいとか言われます
そうなんでしょうか・・・
あまり早くに新しい子をお迎えするのは良し悪しともいわれます
まだ亡くした子のことが忘れられない場合など、新しい子を可愛いと思えず憎しみを感じてしまう場合もあるようです
そんな恐ろしいことはとてもできないですよね
ペットはワンちゃんもネコちゃんも他の動物にしても、皆変わらず可愛いものです
ただ亡くした子があまりにも忘れられないために、どうして皆元気なのにあの子は逝ってしまったんだろうと違う方向へ想ってしまうのでしょう
そして自分が亡くなった子にしてあげた介護の方法や診療の仕方が間違っていたのではないだろうかと疑問や後悔を持つのだといいます
新しく迎える子がそんな家族のもとで幸せになれるはずはありません
飼い主の気持ちが自分に向いていないのは敏感に感じ取ってしまうでしょう
そのあげくに飼育放棄や無視となってしまっては可愛そうな子がまた増えてしまいます
高齢者のペットロスを考える
それに高齢者の入り口にいる年代の自分たちの場合はよくよく考えないといけません
自分たちはあと10年もしたら自力での生活は困難になるかもしれません
寿命100歳を目指せる時代とは言われますが、それはよほど健康で運が良い場合ですね
元気でペットのお世話をできるタイムリミットは今の自分たちの年代まででしょう
動物病院にタクシーでワンちゃんを受診しに連れてこられるご高齢の方も沢山いらっしゃいますが、とても大変そうでした
この子が思ったよりも長生きしてしてくれて・・・自分が先に逝くことになったら・・・どうしよう・・・そんな悩みを抱えて日々可愛いペットと暮らすのも辛いです
自分にも一人暮らしの友人は沢山いますが其のことを考えるとペットと生活することはできないと言います
本当は寂しいからワンちゃんかネコちゃんが傍にいてくれたらいいんだけど家族になって一緒に生活してほしいんだけどと二の足踏んでいる状況です
色々なケースをみるにつけ高齢者がペットロスを克服するには並大抵のことではないのだとしみじみ考えてしまいます。